8回目の日記は、息子のことです。
私は20代の子供が3人います。
長女・長男・次男(27歳・25歳・23歳)です。
まあ、思春期以降は大変でした。
長男は高校中退、娘は引きこもり、次男は...
なぜこうなったのかは、厄介な元夫のせいで私が病んでしまったから。
私の結婚後の半生を書きます。
23歳で恋愛結婚。(高校の同級生)
24歳で一人目出産。(産休育休取得)
26歳で二人目出産。(この時に乗じて元夫コンビニ開業)
産休・育休取得も長男入院。離職。
元夫が家に入れるお金、数万円。
28歳で三人目出産。(私の貯蓄が底をつき、内職始める)
>>>子供がどうしても3人欲しかった。
29歳で再び働き始める。しばらくしてフルタイムで働く。
31歳で元夫に騙され借金の保証人にされる。
32歳、コンビニ閉めろ、離婚だぞと元夫を脅し、コンビニ閉店。
コンビニの借金1,200万円。
元夫は私に借金返済を、「どうしたらいい?」と丸投げしました。
私はコンビニ反対したのに。
私に借金返済を仕切らせました。
33歳借金の返済スタート。
返済スタートしても、私の方が負担が大きい。
元夫は自由に使えるお金がある。私はない。
子育ても家事も相変わらず協力なし。
元夫はいるけど、家庭の中にお父さんがいない。
36歳完済の目途がたつ。
そして家を買いました。
新たな苦しみへのスタートでした。
はじめから違和感はありました。
私はもちろん家族の家と思って買いました。
でも元夫は自分だけの家と思っていたようです。
そして更に家族を支配下におきました。
一緒に苦労を乗り越えたと思った私が、
ある日「借金返せて、家買えてよかったね。」と彼に伝えると、
「死ぬまで言うんか」
???意味がわからない。
涙が。この一言で心が壊れてしまいました。
私はこの時の心が壊れる感覚を覚えています。
そして元夫は泣く私に、
「大丈夫?」
???意味がわからない。
その後数年、私は夫婦関係を続けようと、
心が繋がるように彼に働きかけましたが、
無理でした。
このいきさつを子供らは見ていたんです。
ずーっと。
心の繋がらない父親と、子供にお父さんのお陰と頑張る母親。
私は間違っていました。
長男、他県の高校よりスカウト。
元夫、子育てに興味がないのに介入。
元夫が長男に「バスケで高校いくしかないよな。」
私はこんな言葉を長男に言っていたとは知りませんでした。
私は長男を進学校に行かせるつもりでした。
長男もそのつもりで猛勉強していました。
元夫は長男の将来を全く考えていないのに、
無責任な言葉を長男に伝えていたのです。
長男はこの言葉でバスケで進学するしかないと、
志望校を変えたそうです。
どうして言ってくれなかったの?と思いましたが、
この時すでに私は心が壊れていたので、
信用できる母親ではなかったのです。
元夫には出来る子供は俺のもの原理があるようでした。
今思えば、この3年後娘の国立大入学式にも付いていきました。
ここから命より大切な子供らが私から離れていきます。
43歳、長男家出。
同年、次男他県高校に進学。
46歳、元夫と暮らすことが限界に。
階段を上手く降りられなくなりました。
自分のやったことが覚えていられなくなり、
人の話が理解できなくなりました。
48歳離婚。
長男が私のところに戻ってくれました。
元々、長男と私は親子であり、同士であり、ライバルであり、師弟関係。
心が壊れて泣いていても容赦ありません。
「泣くな!!」と言われると、涙が引っ込みます。
またある時は、「お母さんは正しい。絶対に。」
心が壊れて自己肯定感が皆無の私に、
長男の存在は奇跡でした。
でも心が治るのに3年かかりました。
そして昨日、「お母さん、しゃべりすぎ。俺は聞かんでもわかる。
もう言うな。大丈夫。」
元夫につくした私の半生は無意味なものでした。
でも今は、長男のお陰で素晴らしい人生だと思える。
私の結婚生活は失敗でした。
でも、私には子供がいる。
元夫は私に子供を授けてくれました。
だから、私の結婚は間違ってなかった。
全てが経験。
全て過去のこと、終わったことです。
きっといいことある、がんばろう。